歌・歌う

幼稚園に入ってから35年くらいは鼻歌さえ歌ったことのないと述べる吉行さんだが、2歳をちょっと過ぎた頃、 入院中の母(あぐり)を見舞ったとき、「蓄音機とレコードに変化して、大きな声で歌を歌う」(『石膏色と赤』) という偉業を成し遂げたらしい。

その後、35年くらいの間は歌を歌った記憶がないというが、その歌声を聴いた人はいるのでしょうか。

歌うとしたら、 どんな歌でしょうねぇ?





吉行さんが43歳の夏頃から罹った病気。

吉行さんいわく「車のバッテリーがあがってしまった状態」を指す。

 これには参った。一年余り苦しんだが、思い詰めるところまではいかず、最後には仕事を放棄して寝ていることに 肚がきまった。

『日日すれすれ』より


あらゆる方向で苦しんだらしく、体重も10kg単位で増えたり減ったりしていたそうだ。

特に、最初の2年が辛い時期で、 仕事に手をつけることも厳しい状況だったという。

 ここに集めたもののうち、第一章は主として昭和四十六年度、第二章は四十七年度の仕事であるが、この二年間に 私は心身ともに暗澹とした状況にじわじわ追いこまれていった。まるで時代の流れに歩調を合わせているようにおもえてくる。

 私個人については、仕事もまったくできなかったし、読書さえあまりできなかった。その原因の半分以上は、アトピー性皮膚炎の 極端な悪化で、要するに皮膚の上を嵐が吹き荒れ、じっと蹲っているほかはない毎日がつづいた。食べることも、眠ることも、苦痛で、 「ぶらぶら休養」という贅沢な感じはまったく無かった。


『樹に千びきの毛蟲』より


結局、しばらくは仕事を放棄したものの、仕事をすることによって精神を正常な状態に戻すという試みに切り替え鬱を克服。

そのときの様子は以下の通り。

 それを克服するために、遮二無二仕事にとりかかるという方法があって、昔からの文人の例を見ていると、その方法を 使っている人もたくさんいる。ただ、これは、この病気が進行するとまったくの無気力になって、机に向かうことさえ できなくなってくる。
 荒療治をやるのは、いまのうちなのである。あまり深く考えないで、自分に呪文をかけるように、
 「才能はあるぞ」
 とか、
 「そのテーマは、無意味ではないぞ」
 とか繰返しながら、文字を並べてゆくほかはない。


『樹に千びきの毛蟲』より


最近は「男の更年期」という言葉もテレビ・雑誌で目立ってはきているが、吉行さんの場合は果たしてそうであろうか。

バッテリーが上がった状態、というと男の更年期とも見てとれそうだが、どうも違うような印象を受けてしまうのは 気のせいではないかもしれない。





風景を好む吉行さんが、中でも特に好んだ景色が海だった。

 ただ、これもどういうわけが分らないが、海が見えると、「あ、海だ」という声が咽喉のあたりで鳴って、しぜんに呼吸が 深くなる。もっとも、その時間も数十秒に過ぎないのだが。新しい鞄を床に置いて、金具をはずし、大きく開いたとき、それに似た 気分になる。一瞬、鞄の中から海が出てくる。

『街角の煙草屋までの旅』より



運転免許

宮城まり子さんと2人でいられる時間を作るために、愛の証明として取るように言われて取った運転免許。

吉行さんは、 わずか3週間で免許を取得し、すぐに山などに行ったというから愛の力は偉大なり。

体調と白内障による視力低下を考慮して、還暦の誕生日で失効となっている。