生理

文章に関する生理は、以下の通り。

 何をどう書いたらよいか、ということが、曖昧で混沌としていた理由の一つは、いわゆる評論風の文学に出てくる難しい言葉を、 私の生理が受けつけようとしないために、自分の意見を明快に組み立てる術がなかったこともある。
 「一つの心象風景があるとするな、うん、自分の心の中に、だよ。朦朧として蒸気みたいなそいつを、長い時間かけて、 じわじわ圧縮してゆくと、液体に変わってくる。どうしてといって、君、蒸気に大きな圧力をかけると、液体になるというじゃないか。 その液体をだね、ペンの先にしたたらせて、原稿用紙に書きつけるのだよ」といった按配だから、颯爽として快刀乱麻というわけには いかない。


『私の文学放浪』より



声優

声優?吉行さん役の声優さんですか?という質問が出そうであるが、そうではない。

 

吉行さんが、声優をしていたことがあったのである。

講演はおろか文士劇の類も生理的に受け付けないという理由で出なかった吉行さんが声優を。

その作品とは、虫プロの『千夜一夜物語』。

そう、あの手塚治虫のアニメ作品である。

 

といっても、もちろん主役級ではなく 脇役中の脇役、しかも、「女奴隷市の野次馬」。

赤線を歩いている感じをそのまま録音したようなものと言えばよいか。

 

同じ役柄で、遠藤周作、北杜夫、小松左京、筒井康隆と共演?している。なんとも。
今にして思うと豪華キャストのオンパレードで貴重な作品。

1969年
製作:虫プロ=日本ヘラルド

詳しくは虫プロのHPへGO! →http://ja-f.tezuka.co.jp/



世代

1946年7月に創刊された同人誌で、吉行さんは当初からその同人となり、廃刊までの7年間は常に関係を持っていた。

いいだもも氏、小川徹氏、清岡卓行氏、中村稔氏、日高晋氏、村松剛氏、八木柊一郎氏、矢牧一宏氏らも参加。

吉行さんの作品がどのくらい掲載されたかというと、第3号に『盛夏』、第7号に『路上』、第14号に『原色の街』の計三作品。 同人の中で、一番評判がよかったのが『路上』だったという。

当時の吉行さんの気持は、以下のようだった。


 (中略)その同人たちの多くに私は劣等感と優越感のまじり合った気持を持ちつづけていた。


 (中略)心中は劣等感や反発や自負などでなかなか複雑であったことだ。終始、自分が部外者である気持から脱れられなかった。


 しかし、頭脳明晰で才能ゆたかな青年たちとのつき合いは、差し引き勘定して結局のところ魅力的だった。それが私が「世代」から 去らなかった理由である。


『私の文学放浪』より


ちなみに、『原色の街』が掲載された第14号で、吉行さんは編集と装丁をてがけている。

編集のときには、すべての作品がページの 最後で終わるという割付にしてみたりした。第15号も編集。



戦後派の作家たち

吉行さんが22~3歳のときに登場した作家たちの大部分は、「習作時代の気楽さと苛立ちのなかにいる」(『私の文学放浪』) 吉行さんを感心させた、と言っている。

 

梅崎春生氏の『桜島』、武田泰淳氏の『蝮のすゑ』、椎名麟三氏の『深夜の酒宴』など、 その代表例ともいえよう。

一方、三島由紀夫氏に対する感情は、少し複雑であったという。

三島氏の活躍に「羨望の念をおさえがたかった」 (『私の文学放浪』より)吉行さんは、「形容詞、形容句の氾濫と、漢字の美に寄りかかりすぎる趣味が、煩わしかった」 (『私の文学放浪』)ため、最初期の作品を読了できなかったと言っている。

 

吉行さんが三島氏に脱帽したのは、『仮面の告白』 だという。

この作家たちに感心しながらも、どこかで距離を感じていた(理解ができない部分があった)吉行さんを熱狂させる作家が登場するのは 吉行さんが25歳の1949年のこと。

 

その作家の名は島尾敏雄氏である。



全集

 しかし、生きているうちの「全集」の有難さは気に入らぬ作品を捨てることができるところにある。作者が認知した昭和五十八年 までの作品のすべて、と解釈してもらいたい。死後に、いまの「全集」の際に捨てた作品が復活してくるのも勘弁してもらいたい。
 
『犬が育てた猫』より


 私が四十七歳の四十六年には、全集全八巻が出版になった。小説家としては、嬉しい筈の事柄だが、八冊揃った本を 眺めていると、それが自分の墓石のようにみえた。本当は、「全集」の名を避け、「作品集」ということにしたかったのだが、 ことの成行きでそうなった。そのことも、なにやら意味ありげにおもえてきた。

『樹に千びきの毛蟲』より



『戦争と平和』

トルストイの代表作。

高校時代の吉行さんは、図書館でこの本を借りて朝晩となく読み続け、二十日かかって読了した。感想は、「その壮大なドラマに 夢中になった」(『私の文学放浪』)という。

 

しかし、『復活』となると、感想は違った。

「憤慨してトルストイから 離れた」(『私の文学放浪』)。

※ 同じように、吉行さんを憤慨させた本に、島崎藤村の『破戒』と島木健作の『生活の探求』などがある。



戦争反対

核兵器・核戦争の反対運動の呼びかけ人になってほしいと頼まれた吉行さんのコメントの一部は以下のとおり。

 ただ僕としては核だけ特別扱いするのは気に入らない。核で死ぬのも、ふつうの爆弾で死ぬの同じで、つまりは「戦争反対」である。 今回は無駄と知りつつ呼びかけ人になった。

『犬が育てた猫』