マイナー・ポエット

吉行さんが目指した(?)立場、振舞い方。



麻雀

吉行さんがこよなく愛したもの。
名台詞に「麻雀はできるが、仕事はできない」(体調が思わしくないため。能力ではない)がある。

麻雀仲間は、黒鉄ヒロシ氏、安孫子素雄氏、阿佐田哲也氏、園山俊二氏、福地泡介氏、近藤啓太郎氏ら。

小島武夫氏と『麻雀の研究』を出したほどの麻雀好き。

吉行さんいわく、麻雀の腕は「強くもないが弱くもない」レベルだったらしく、もっぱらストレス解消、仲間との雑談を 楽しんでいたようだ。

50歳を過ぎた頃から負けるのが悔しくなくなり、危険牌をツモると、どうしても振ってみたくなる悪癖が出てきたという。

 「もう我慢できない」とも書いていて、実感がこもっている。

ちなみに、「こういう牌が当った打率は九割を越すだろう」

そのときの状況は、

 負けても口惜しくないのは本当のことだが、勝つと気分がいいのも本当のところだ。勝った翌日はあまり疲れが残っていないし、 負けて帰るときには髪の毛も力なく頭に貼り付いている。

『日日すれすれ』より


働いていた雑誌社が潰れかかって差し押さえが続いていた頃は強いと自覚していてたらしい。

朝から晩まで打って、差し押さえに ならないよう麻雀牌を持って裏口から逃げたりしたエピソードは、いかにも吉行さんですな。

麻雀をすると相手の人柄と運が分る、とも言っている。

たしかに。



間違い電話

電話番号の下4桁が0101で、間違い電話に閉口したという吉行邸。
土建、丸井、ゴルフクラブ、日本青年館などなど、間違い先は多種多様であった。



ママカリ

岡山の名産?の小魚。

甘い酢漬けにして、駅の売店などで売っているとか。

吉行さんは、その酢漬けは「不味くて食う気になれない」らしいが、入営前に叔父に食べさせてもらったママカリ (鮨にしたり、焼いたのを甘酸っぱく煮たりしたもの)は「天下の美味」であったといい、戦後も「どの程度か はっきりさせたい」という一念で何度か食べたという。

 

が、結局、「首をひねってしまう」吉行さんであった。



マムシ酒

「構想の会」の後、庄野潤三氏や三浦朱門氏、阿川弘之氏たち新人作家を市ヶ谷にあった自宅へ誘うとき、「ぼくの家に、 マムシが一匹はいった焼酎が一升あるから、飲み直さないか」と言った。

しかし、興味を示して飲んだのは島尾敏雄氏だけだったという。

後年、ゲテモノ趣味だったのかと聞かれた島尾氏は、 ヤケクソで飲んだ、親愛の情だった、というようなことを言っている。

そりゃそうでしょうな。

それにしても、なんでマムシ酒なんかが・・・。

ぐったりとした三角頭のマムシがとぐろを巻いて透明の酒に漬かってる瓶なんて、 吉行さんの好みとは思えませんなぁ。



麻薬

旧制高校の頃から、ゼンソクの発作の度にエフェドリンを使っていた吉行さん。

麻薬に対する考えはというと想像どおりなのでは あるが、以下のよう。

 例えば、麻薬を飲むと、その時だけは心悸高揚していろんないい考えが浮んでくるわけだけど、醒めたあとでつまらない感じ になるんだろうと思う。オクターブが高くなるっていうのが、ぼくには嫌いだし、薬によって自分が別人になるっていう感じもイヤだ。 麻薬の方は、まあ将来もドップリ入り込むということはないだろう。

『石膏色と赤』より

※口述筆記のため、文章や文字使いが普段と違っているようです。


そんな吉行さんだが、ヒロポンを服用して困ったことになったことがあった。

 

モダン日本社で働いていたときのこと、 鬱陶しい事態からの成り行きでヒロポンの錠剤を服用してしまい、めったに使わない薬だったためその効果は増大で、 作家JT(高見順?)の家では1オクターブほどテンションが高くなった吉行さん。

 

高価なウィスキーを一瓶飲み干したり、 大活躍を演じたという。
二日酔い・・・ひどかったでしょうねぇ。

 




西銀座のバー。

そのあとに、まり花、というパターンがあったようだ。



まり花

吉行さんがよく行った、銀座のバー。



マリリン・モンロー

 当時、モンローはセックス・シンボルの女優として名高かったが、私にはそうもおもえなかった。映画「ナイアガラ」で 有名になったモンローウォーク、つまり下腹部を強調したうねるような歩き方を見ても、ハリウッドの作戦のほうを 強く感じてしまった。モンローはむしろ可憐にみえた。

『日日すれすれ』より



漫画

 結局、私はナンセンスまんがが一番好きで、まんがという器に盛る中身としては、これが最も適当なような気がする。 ナンセンスによって、日常的なものから突如大きく離れる。飛躍し、脱出する。そこのところが、まことに爽快である。

『軽薄のすすめ』より



慢性肝炎

吉行さんが「飼い馴らした」病気のひとつ。
63歳頃には、2ヶ月に1度の通院をしていたという。

 

酒の飲みすぎも原因のひとつかもしれないが、若い頃からの薬づけの 副作用と見る方がいいのかもしれない。

ちなみに、亡くなったのは肝臓ガンのためだが、それは肺の手術をしたときの輸血が原因のC型肝炎からのガンだった。



マンディアルグ

ピエール・ド・マンディアルグ。

 

1909年生まれ、1991年逝去。

フランス人。パリ生まれ。

 

代表作品:『黒い美術館』『城の中のイギリス人』『レオノール・フィニーの仮面』『狼の太陽』『大理石』など。


三島由紀夫の『サド侯爵夫人』を仏訳。
シュールな、イメージ性の強い幻想的な作品であることが特徴。

澁澤龍彦氏いわく「文学的ポルノグラフィー」。


吉行さんは初期の短篇集が好きで、1956年の『海の百合』には充分に満足した、と書いている。

 果樹園に入ってゆき、つぎつぎと果物をもぎとって齧りながら、歩いてゆう気分だった。果汁は十分に皮の下にあり、 味も一つ一つ微妙に変化してゆくが、全体に調和と統一があった。

『樹に千びきの毛蟲』より

小説よりも先に詩を書き始めたこと、繊細かつ明晰な感情など、吉行さんとの共通点も多々あったと思われる。



万年筆

若い頃、執筆の際に万年筆を使っていた時期があった。

シェーファーやモンブラン、パーカーなど様々なブランドを試していたようだ。

吉行淳之介文学館にも展示されていた万年筆。

紛失癖がある吉行さんの元に残った、選ばれし戦士たちといえよう。

ちなみに、晩年は鉛筆を使っていた。

青や赤のボディの鉛筆を数本、きれいに削って卓上の鉛筆たてに入れていた。