盲亀の浮木、ウドンゲの花

『人口水晶体』で講談社エッセイ賞を受賞したときのスピーチで使った講談の台詞。

吉行さんが辞典で調べて記したメモによると、「大きな海に住んで、百年に一度水面に浮び出る目の見えない亀が、 流れただよっている木のただ一つの穴にはいろうとするという、めったにないことのたとえ」のこと。

「なんで穴に入ろうとするのか変な亀だけど、とにかく盲亀の浮木、ありがとう」と、そのスピーチを 締めくくったという。

ここで、解説するのは野暮なのでやめます。



モデル

 そのモデルと私自身とが深くからまり合って、相手を刺すことはすなわち自分を刺すことになる、という場合がある。その場合こそ、モデルは使うべきものだと、私はおもう。そして、そういう場合には、私はほとんど心苦しさを感じない。「文学のため」という古風な心持が湧き起ってくるのである。

 文学においても、モデル小説が許される場合は、作者が、モデルについて書くことによって、同等に傷つく場合に限られる、といってよいだろう。そもそも、文学というものは、つねに、両刃の剣のようなもので、相手を刺すことは、同時に自分を 刺すことなのだから。


『軽薄のすすめ』より



モノモライ

疲労がたまるとモノモライができるタイプがいるが、吉行さんもその一人。

モノモライに限らず、すぐに膿んだり腫れたりと、 なにかとデキモノができやすい体質だったようだ。

背中や胸に腫れ物ができて、それが破裂すると血が混ざった膿が出る。

その後は、だいたいへこんで穴のようになるのだが、 吉行さんも例にもれず、その穴を作っていたらしい。

体の穴であると同時に、心の膿と穴、と解釈するのは深読みの一種であろうか。

デキモノについては、別の項で。



模倣・模写

萩原朔太郎ばりの詩や太宰治風の文章に嫌悪を抱いていたことからも考えられるように、誰かの文章を書き写して練習する、 というスタイルも嫌いだったようだ。

 

「そういう形の勉強は、私は一度もしたことがない。」(『私の文学放浪』)と 言っている。

例外は、梶井基次郎。梶井のような、梶井をおもわせる文章には好感を抱いていた、という。

理由は、以下の通り。

 その理由は、梶井の文章は発想のときの作者の姿勢もふくめて、文章というものがそうあらねばならぬ究極の形と おもえるからで、梶井風の文章からは模倣の感じが伝わってこないためとおもえる。作者の強い個性が、むしろ透明に 昇華されている。



モビール

吉行さんの寝室兼書斎には、赤と黒のモビールが3つほど飾ってあった。

推測の結果、これは「flensted(フレンステッド)」社の製品で、「流れるリズム」の黒バージョン、「シンフォニー」。

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赤と黒を基調にしているアレクサンダー・カルダーの作品なんかは、吉行さんの感覚にぴったりですな。



腿膝三年尻八年

桃栗三年柿八年をもじった、吉行さんの造語。
ときによって、腿膝尻がカタカナやひらがなになったりする。

バーの女の子に、怒られないようにサラリと腿や膝に触れるようになるには3年、尻にいたっては8年の修業を要する、 という意味。

が、現実には吉行さんでもない限り、腿もかなりの修行が必要とみてよい。