安岡章太郎

作家。
1920年5月30日生まれ。

2013年1月26日死去。享年92歳。


出身:高知県高知市。
芸術院会員、芥川賞選考委員を務めた。

青南小学校→市立一中(現・都立九段高校)→慶應義塾大学文学部卒業。
1953年に『悪い仲間』『陰気な愉しみ』の二作で第29回芥川賞を受賞。

2000年には『鏡川』で大佛次郎賞を受賞。

また、2001年には文化功労賞も受賞している。

第三の新人の中心人物の一人で、吉行さんとは、ほぼ毎日のように会っては(コルセットをつけたまま)赤線をうろうろしたり、 バー、家、さまざまな場所で共にお酒を飲んでいた。

 

阿川弘之氏と並んで、吉行さんのきわめて仲のいい友人の一人といえよう。

自らを「病気のデパート」と呼ばれた安岡章太郎氏。
我らの世代の求心力のような存在です。どうぞ長生きをされますように・・・。(*執筆当時はご存命でした)


個人的には、小説も好きですがエッセイが特に好きです。

真面目な文体から滲み出るユーモアに笑いを誘われ、書かれている状況を想像してさらに笑いがこみあげてきてしまいます。

電車では絶対に読みたくないエッセイです。

近藤啓太郎氏からもらいうけた紀州犬の「コンタ」について書かれたエッセイは絶品中の絶品、イチオシの作品ですよ。



山の上ホテル

東京・御茶ノ水にある、吉行さんが仕事場としてよく利用したホテル。

ホテル内にあるバーもお気に入りだった。

ちなみに、英国風バー「ノンノン」と九名限定のバー「モンモン」の二店ある。

文人のホテルとしても有名で、安岡章太郎氏や高見順氏も利用していた。
そのときの模様は、吉行さんのエッセイに詳しい。

「ホテル」というより「隠れ家」というか、重々しくはないのに、軽~く彼女とホイ!とは入れない雰囲気がよろしいかと思います。

山の上ホテルのHPへ →GO!




山ノ手美容院

1929年、吉行あぐりさんが麹町に開いた美容院。
村山知義氏が設計。

二等辺三角形の建物に丸い窓がついたこの建物は、当時としてはかなり目立つ「ハイカラ」なもの だったらしい。

のちに、銀座・伊東屋のビルに移る。



山口瞳

作家。
1926年1月19日(あるいは11月3日)生まれ。
出身:東京都。
1995年8月30日逝去。享年68歳。

麻布の東小学校→麻布中学→第一早稲田高等学院(中退)→國學院大学文学部日本文学科。

河出書房に入社。同社の倒産後、寿屋(現・サントリー)に入社。「洋酒天国」の編集を担当した。コピーライターとしての 活躍も有名。

寿屋宣伝技術課係長に昇進後、『江分利満氏の優雅な生活』を発表、この作品により、1963年第48回直木賞を受賞した。

1963年からの連載「男性自身」は、亡くなった1995年までの31年9ヶ月の間、一度も休載することなくつづき、 その回数は計1614回を記録した。

吉行さんにとっては、麻布中学の二年後輩にあたり、堂々とイバレる気安い相手だったとか。

対談も何度かしており、その中で、 山口氏を「そこにいるのは山口瞳であって、海坊主ではない」と放言したくだりがありました。

吉行さんに、乾癬についての切り抜きを「分厚い封書」の形で送ってきた、というエピソードも。

そのときの状況は以下の通り。

 私が乾癬でさんざん苦しんでいるので、山口瞳は気にかけてくれている。こういう親切な友人の言葉にしたがって、 いま随筆のタネにしているのだ。

『日日すれすれ』より



山藤章二

イラストレーター。
1937年(昭和12)2月20日生まれ。


東京都出身。
武蔵野美術学校デザイン科卒業。

今や、和田誠氏と並んで、似顔絵ライターの双璧ともいえる超人的存在。

ブラックユーモアと鋭い視点・感性を惜しみなく ペンから作品に注ぎ込み、この世のものとも思えないほど酷く描かれた相手をも笑わしめている。

1970年に第1回講談社出版文化賞を、1971年に第17回文藝春秋漫画賞を、1983年第31回菊池寛賞を受賞。

吉行さんの似顔絵に癇癪筋を書き込むことを忘れず、つねに瞼は饅頭のごとく、つねに鼻はしゃもじのごとく描かれており、 女性ファンを嘆かせた(という噂)。

 

でもねぇ、野坂昭如氏と井上ひさし氏に比べればねぇ・・・ごにょごにょ。