遊園地

「大人になっても好きなもの」のひとつ。

吉行さんは、大人になってからもときどき遊園地に出かけていた。

「郷愁的気分になるのは当然だが、それだけでなく、遊園地は大人をロマンチックにまたセンチメンタルにさせる。それも、 衛生無害のロマンチックな気持、センチメンタルな気持である」と言っている。

 

遊園地に行くことが、一種のストレス解消に つながっていたらしい。

吉行さんにとっての遊園地は、ストレス解消の場であると同時に、物悲しい気持ちを起こさせる場所でもあった。

 

休日や平日の、 閑散として、乗り物などが動いていない遊園地はもちろん、混雑していて子供たちのはしゃぐ声が聞こえる遊園地も、吉行さんに とっては物悲しく思える場所だった。

余談ですが、エッセイのタイトルに『木馬と遊園地』というのもあります。



ユーカリ

吉行さんの家の庭に植えられていた樹木。

手伝いの人から貰った小さな苗を植えてから、2年経っても膝くらいの丈にしかならず、花さえつけなかったこの植物が 3年目にして伸び始めた。

 

その伸び方が尋常ではなく、1ヶ月の間に人間の背の2倍くらいになってしまったそうである。

まわりの植物の栄養をも奪い取る危険性が出たため、驚いた吉行さんが図鑑で調べたところユーカリだと判明したという。

その様子をこう語っている。

 二年間、地上にみえている部分は大きくならないで、地面の下のほうへ伸びていたわけである。目に触れない部分の態勢が 十分に整ってから、俄然ニョキニョキ伸びはじめたというのは、面白くもあり、不愉快でもある。地下の根が、じわじわと長い間 まわりの滋養分を吸い取って、うずくまりながら、気配をうかがっているのを考えると、薄気味わるくもなる。

『樹に千びきの毛蟲』より



夕暮まで

吉行さんが54歳のときに書き上げた作品。

このタイトルから「夕暮れ族」という流行語が生まれ、社会現象ともなった。

特筆すべきは、この作品の中に「彼」「彼女」といった文字がないこと。

意識して使わなかったわけではないらしいが・・・。 研究者にとっては、注目の一点?



友人

吉行さんには多くの友人がいたが、本人が「親しい友人」と記している、若い頃の友人は、久保道也と佐賀章夫の2人だろう。

 

この2人の「早熟な秀才にそそのかされ」た吉行さんは「原稿用紙に字を書いてみるようになった」と言っている。

 

彼らは、吉行さんの書いたものを「適当に褒め、次のものを書くようにそそのかす。次のものを書くと、それを褒め、 前よりずっと進歩したと言いながら、前のものを巧みに批判する」という手法で吉行さんの筆を進めたらしい。

 

ある意味、 吉行さんを導いてる2人?彼らが生きていたら、その後の彼らと吉行さんとの関係はどうなっていたのだろう、と興味はつきない。

 

が、長崎の原爆で2人は亡くなり、吉行さんは晩年まで胸をつぶしていた、という。

その次に登場する友人といえば、やはり「第三の新人」と呼ばれた人々でしょうか。

いやぁ・・・濃い友人たちですね。





 夢にも二種類あって、手繰ればどこまでも根の出てくるものと、その場かぎりのものとある。前者を毎日みていれば、 小説のタネには不自由しないが、こういう夢は一年に一度くらいである。一時、枕もとにテープレコーダーを置いておいて、 寝起きに吹きこんでみていたことがあるが、再生してみると寝呆けていてムニャムニャ言っているだけのことが多いので、 「三日坊主」くらいでやめてしまった。

 悪夢は困るが、しかしその場限りのことだし、夢で美女を抱いたり旨いものを食べたとしたら、それは現実なのである。また、 現実に旨いものを食べても、それは夢ともいえる。それに、夢での情交はけっしてあとくされがない。

 これから真剣に、私は夢を見る技術を開発してゆくつもりだ。


『石膏色と赤』より


 ただ、匂いのある夢はめったに見ることができない。夢は毎日見ているが、匂い付きのものは、 これまでに三度だけである。

『樹に千びきの毛蟲』より


 「しかし、きみはへんな女だな。そういう夢を見ることができるというのは、一つの才能だ。だけど、いまきみの 住んでいる世界では、その才能はあまりプラスに働きそうにないねえ」

『夢三つ』より