最初の一行、最後の一行

 長篇はもちろん、短篇でも私は最初と最後の文章ができてから、筆をおろしたことはない。作品のモチーフとテーマが 分るまではかなり苦しむが、そこが解決できれば最初の一行はおのずから出来てしまう。これで苦労したことはない。 そして、書きすすんで終りにたどりつくと、また自然に結びの文章ができてくる。ただし、このほうは時折躓くことがある。

『石膏色と赤』より





 梅干の肉をちぎり、刻んだネギとまぜ合わせ、鰹節と海苔を入れて、それを酒のサカナにして一パイやる場面がでてきた。 私はむかしからこのサカナが好きで、ときには生卵の黄身だけをそこに加えることがある。

『軽薄のすすめ』より



「酒について」

イギリス人作家であるキングスレー・エイミスの本。

吉行さんが翻訳をてがけた。

この作品を吉行さんは好んでおり、その理由に「著者が酒についての十分な経験と知識をもった上で、そういうものをチラつかせる 「通」を拒否している点だ」と『街角の煙草屋までの旅』で言っている。

 

翻訳にあたり、かなり辞書と格闘してこずったそうだが、 イギリス人のユーモアの本質が実感的に分かったことが収穫だったという。

初版発行以来3年半、訳文にこだわりつづけた吉行さんは、合計200箇所ほどを直した。

昭和55年の第14刷で、 帯を銀色にし(それまではオレンジ)、それ以後は訂正していない。



雑踏

 知り合いと別れてひとりになり、雑踏している橋や街路の上に立ち止って、ビルディングの横腹をチラチラ動いてゆく 電光ニュースを読んだりするのも私は好きだ。黄色い光の帯が、私の心をなだめる。と同時に、不意に私の読んでいる文字と同じ文字を、 このまわりの人たちも読んでいるのだろうか、と疑わしくおもえる瞬間も襲ってくる。そういう時には、電光文字は ふと見なれない奇怪な形に見えたりする。

 とにかく、私は雑踏を愛し、都会を愛している。当分、いや死ぬまで、花鳥風月の心境にはなれそうもない。


『軽薄のすすめ』より



サボテン(シャボテン)

子供の頃、シャボテンを集める趣味があったという吉行さん。

おこづかいが足りなくて2~3鉢を集めたに過ぎなかった吉行少年は、 「いつかオトナになったら庭をシャボテンだらけにしてやろう」と夢想していたらしい。

 

蒐集癖がまったくなかった 「オトナになった吉行」と比べると、なんだかとてもおもしろい。



サンセット大通り

1950年に公開された映画。

監督・脚本はビリー・ワイルダー、主演はウィリアム・ホールデン。

吉行さんが、封切りのときに映画館で、そして日曜日の昼にテレビでと、推定3回は見た作品。

古くなっていないのに 感心し、監督のビリー・ワイルダーをなかなかのものと褒めている。



散文

詩を書いていた吉行さんが、散文を書きたいと思い始めたのは1945年、21歳の頃だった。 

理由は、自分の詩に満足できないこと、散文の方が向いていると思ったこと、詩の表現形式に満足できなかったこと、 の3点をあげている。

そう思い出してからの4年間は、詩と散文との違いや、どうすれば散文が書けるかばかりを 考えてすごしていたとも言っている。


 私の書こうとした散文が、無味乾燥なものになったり、逆に湿潤なものになったのは、その距離 (管理人注:対象と作者自身の心との距離)の測定に失敗しているためであった。昭和二十年からの四年間の私は、 この距離の測定に苦しみ抜いた。

『私の文学放浪』より

そうやって初めて書けた散文が『薔薇販売人』。