ペット

吉行さんがペットを溺愛して連れて歩く、という姿はおよそ想像できないが、ペットは幼少の頃から飼っていたという。

小学校のときには柴犬がいたり、20代にも犬や猫がそばにいた。

27~8歳のときに飼っていたのは黒猫。

「呼んだら来ないが、呼ばないと来る」巨大な猫で、精力絶倫の猫。

この猫だけではなく、 黒い猫は何匹か飼っていた様子である。

次にきたのは、真っ白いスピッツ。

黒猫とは違って品行方性だったが、門から飛び出して轢死。

また、コッカースパニエル(サイレンの音を真似する犬。雄。)や、この犬が育てた猫(吉行さんに「犬のような猫だった、 行方不明になって惜しいことをした、ああいう猫だったら、いま飼ってもいいな」と思わせた大物)も。

その後、上野毛に引っ越してからセントバーナードのブースカとブースカ2代目と暮らしていた。

1週間に1度くらい、窓ごしに対面する仲だったというブースカと吉行さん。

散歩は・・・吉行さんよりも体重があるブースカが 家の前で動かなくなってからは、しなくなったと聞いています。



ペディキュア

ペディキュアが似合う美しい足に出会ったことがないという吉行さん。

現代の女の子は、かなり綺麗にペディキュアを 楽しんでいるように見受けられるのですが・・・。

今、もう一度聞いてみたい質問のひとつです。



編集者

作家になる前の吉行さんがしていた仕事。
23歳のとき新太陽社という会社に入り、29歳のとき結核になって退社するまでの6年間、「精力的に働いた」という。

 

吉行さんいわく、生涯で一番勤勉だった時期。編集者としての仕事に誇りをもって働くと同時に、屈辱的な出来事の多い日々を、 いつか自分の作品が活字になる、ということを心の支えに送った6年間だった。


 このように、編集記者としての私は、日の当たらない場所ばかり歩いてきた。そのあいだには、屈辱の記憶や、 ハラワタの煮える記憶がたくさんあるが、すべて腹の中におさめて我慢した。顔に出しては、雑誌が出来上がらないからである。 「片手にマルクス、片手にフロイト」という言葉があるが、当時の私は「片手にフロイト、片手にエラスムス」であった。


 しかし、私は一流誌に勤めて、鷹揚に仕事をするよりも、三流誌の記者であったことに感謝している。その期間の体験は、 作家としての私の大きな栄養になったとおもっている。


『私の文学放浪』より