ファンレター

平均すると、1週間に2通の割合で届いていたというファンレター。

その手紙に、吉行さん本人が返事を出すことはほとんどなかったという。

ときには、作品を的確にとらえている高校生からの手紙や ユーモアのある手紙をもらい、つい返事が書きたくなったこともあったとか。

さて、ファンレターの中に返信用の切手が同封されていた場合どうするか。
阿川弘之氏から「志賀直哉はそういうとき、切手を破り捨てていた」と聞いて、以後「同じようにしている」

しかし、質問状となると話は別だったようだ。

中学生から作品の見解について答えよという手紙をもらったりすると、「こういう ときには、なるべく返事を出すようにしている」(『樹に千びきの毛蟲』)。

 

知らない人との面会はお断りの吉行さんが 玄関のドアを開いてくれるのは卒論のための質問だけであったということも照らし合わせてみると興味深い。



風景

舟橋聖一氏が主宰していた「キアラの会」を母胎とする月刊の小冊子。
吉行さんは、二度、編集長を務めている(1965年と1976年)。

いろいろなことを考えて、個人の意見ではなく皆の代表のようなつもりで「風景」の廃刊を提案したところ、 舟橋氏はおおいにショックを受け、その成り行きから吉行さんが二度目の編集長になった。

 

このときには編集に徹し、 作品は掲載していないようだ。

1956年(昭31)に刊行、舟橋氏の死(1976年・昭51)とともに解散。

舟橋聖一氏については、別の項で。



深読み

吉行さんのクセというか性質というか。騙されたくない、馬鹿にされたくないという気持ちから出たものだと想像される。

この性質は友人たちからも指摘されてきたらしく、その傾向を吉行さん自身も否定していない。

ただ、ズバリ的中とまったくのハズレが同じくらいあり、吉行さんいわく「つまりは、丁か半かだ」

こういうところも賭け事になるんですな。



富士山

晩年は富士山が眺められる多摩川周辺に住んでいた吉行さんであるが、富士山のイメージの好悪となると、 好だけとは言い難い経験があるようだ。

旧制の高校一年生のとき校庭から見えた富士山。

 

「視野いっぱいになるほどの大きさで眼の前のあり、 富士山は日常生活の中に入ってしまった。その上、その富士山に厭な色の膜がかかるようになってきた」 (『犬が育てた猫』)とある。

 

この日常生活というのが太平洋戦争の期間にあたるわけで、軍国主義の空気と富士山の膜は 対の形で記憶にあった可能性が高い。

しかも、富士山に向かいながら校庭で行う整列や体操、加えて軍事教練の教官が指導員ともなると、好印象のみを抱ける 条件から遠いだろう。

以上は悪のイメージであったが、次は好のイメージをまとめたい。



ブースカ

吉行さんが飼っていたセントバーナードの名前。
初代ブースカは、北千束から上野毛の家に移る前後に登場したと推測される。

初代と二代目の2匹を飼っていた吉行さんだが、庭にいる彼らと対面するのは、ガラス越しに週1度ほどだったとか。

ペットに対する態度も吉行流ですな。

エッセイにはあまり登場しないブースカだが、彼らとの記念写真は数枚ある。
見た目は、吉行さんより身長も体重もありそうなボリューム満点のブースカでした。

それはそうと、巨大な犬にひきずられて散歩にでかける吉行さん、想像しにくいですねぇ。

安岡章太郎氏の話だと、吉行さん宅の前にある坂の途中でブースカが寝てしまったとき、非力な吉行さんは往生し、途方にくれ、 二度と散歩に行かなくなったとか。

散歩する吉行さんは想像しにくいのに、ブースカを目の前にに途方にくれる吉行さんは想像に難くない光景ですなぁ。



二日酔い

静岡高校時代は、連日の一升酒にもかかわらず二日酔はなく、かなり残ったとしてもお昼にはすっきり気分が晴れた、 という吉行さんだが、晩年は翌日の夜中近くまで苦しんだこともあった。

といって、キングスレー・エイミスではないが「二日酔いをしない方法・・・飲まないこと」など実行できるはずもない。

「朝起きたとき、隣に寝ている女性と・・・」というのも、外国人だからできるワザであり、日本人が真似ると死に至る可能性も。

吉行さんも語り部にとどまったらしい。その方が無難。気をつけたい。



フランス語

旧制静岡高等学校時代に選択した外国語。

当時の授業は外国語くらいしか見るべき授業がなかった反面、かなりの時間を 外国語に費やすという国際的な感覚の(?)時間割だったようだ。

生徒は教授のことを好意を持たずに綽名で呼ぶことが多かった中、吉行さんがフランス語を習った岡田弘教授は、 生徒たちから「岡田さん」と親しみを持って呼ばれていたとか。

 

この岡田教授とは亡くなるまでの長い付き合いに なった。

赤線に連れていったりしたこともあったそうだ。

 

たしか、お座敷でピーナッツをご覧に入れたのは岡田教授ではなかったか。

吉行さんのフランス語力はどうかというと、英語と同様、会話が流暢とは思えない。

が、フランスに旅行に行った際、 道に立っている娼婦とカタコトのコミュニケーションを取っているところを見ると単語力はあったと想像できる。

 

中でも、女の子を褒めるための形容詞は、すらすら出ていたようだ。